サラバ青春

先日長らく住んでいた新潟のアパートを引き払った。大学に入る時は「ただの通過点」としか思っていなかった新潟だが、気づけば人生の約3分の1も住んでいたことに気がついてびっくりした。もう身体の何処か一部は新潟県民になっていると思う。

留年したとき、学校が遠いから通えないと馬鹿げた話をしたら、ならすぐ隣に越せと親が引越しさせてくれたこのアパート。ほんとは当時好きな女の子が住んでたからというストーカーじみた理由だったのだけれど、越して半年くらいでその子とは疎遠になったのであんまり関係のない話だ。学校が近くなって助かったのは事実だし。

私は部屋の鍵を殆どかけたことがなかった。大抵うちに訪れた友人はその事に驚き呆れる。運良く次は都会に越す予定なので、流石にそろそろ鍵文化というものに馴染んで行きたいとは思っている。

引越しをする度に、人間はこんなにも沢山の物に囲まれているのか、と思う。

実際にダンボールに詰めると、存外「思い出はあるけど今の今までこれのことを覚えていたか?」と考えこむ事が多い。

物持ちはいい方だったのだけれど、今日が分岐点だと沢山の物を捨てた。女々しい思い出の品ばかり捨て損なったので、正直実家に送ったダンボールを新しい家に持って行く気にはならない。(そういうものを捨てることこそ断捨離だろうよ)

新潟を去る前に会いたいような気がする人も何人かいたのだけれど、此処でわざわざ会わなければ一生会わない人。きっとこの先も会わないのだろうなと思うのでさして連絡しなかった。

私は新潟で一応バンドを組んでいて、今後もやりたいと一応考えている。のでまたこの地に来ることはあるかと思う。働いてみないとわからないが。

でも綺麗になった家を後にして車に乗ったとき「じゃあね。2度と来ないよ。」と心の中で思う。そうなってもおかしくないと思う。私はそういう人間だ。

同期だった友達はもう社会人を4年もやってるらしい。私と彼らの過ごした4年の感覚は多分違うと思う。新しい環境に入ってから人の体感時間は長くなるように感じる。新しい人間関係、新しい街、新しい生活。私はと言えば変わらない環境から仲のいい友達を差し引いた4年間なので本当にあっという間だった。どんなことをしたのか。正直あまり思い出せない。

時間軸は人間関係に基づいて受容されるように思う。1人で過ごした時間も貴重だが、案外振り返ってもかけらも残ってないことも多い。

過去を振り返るとき、例えばの話だが、好きな人とどんなことをしたかを初めに思い浮かべるように、まず浮かんだ人物との関連を思い出す。(もしかしてこれは私だけなのだろうか)

特定の誰かが出てこなかったり、1人で過ごしてる事が多い1年はなんだか何も残ってないように感じる。

4月から私はどんな人間関係を構築するのか楽しみだ。新しく誰かと仲良くなるのが楽しみ。

社会人になったらそれはそれは辛いことだらけなのかもしれないけれど、それ以上に久しぶりに経験する新環境というものに期待している。

まぁあれもこれも国家試験受かってなきゃなんですけど…明日発表かぁ。落ちてたら受かったフリします。真相は闇の中。

 

いろんなことを思い出したら凄い楽しかった幻みたいな長い大学生活もようやく終わりました。私の中に残っている貴方たちの中には私は残ってないかもしれないし、これから消えちゃうことと思いますけれど、私は記憶力には自信がある方なんです。若かりし貴方たちは、更新されることなく私の中にいます。いつか私のことも思い出してね。

8年間ありがとうございました。

 

追記

チャットモンチーのコピーを最後にやり損なった。弾き語りして動画を晒そうかな。