宝物を探して 歌詞考察

橋本絵莉子さん(さま)の「宝物を探して」という曲を聴いた。

音楽から離れすぎていて、発表から半年以上経っている今更聴いた。

めちゃめちゃよかった。チャットモンチーの盲信者だからそう思うのだと言われればそうなのだけれど兎に角めちゃめちゃよかった。

特に歌詞がよかった。天才かと。勝手ながら歌詞の考察をします。ちげぇわとか言うな。独り言だから。

 

一般に全部歌詞貼ってもいいんだけど分解してやります。まずはこの曲で1番凄いなって思ったのはサビです。

粘土で薔薇を作って

タオルケットでお昼寝
浅いビニールプールで
宝物を探した
LOVE LOVE LOVEを歌って地元の駅で待ち合わせ
立体交差を超えて
宝物を探した

        」

 

曲中にサビは3回ありますが全てこの歌詞です。

これわざわざ繰り返してるんですよね。大事だから。大事なことは2回どころか3回言ってください。

このサビは、前半と後半に分かれてます。

最初の文節では誰が聴いても明らかですが幼少期の話をしています。多分幼稚園くらい。

粘土で薔薇を作る感性と創造、柔らかなタオルケットで好きな時間に寝る自由さ、庭にプールなんて非日常が現れるトキメキを歌っています。何処を切り取っても美しく、全ての時間で不純物でゼロの気持ちで宝物を探しています。

 

対して後半はいきなりLOVEとか歌い出して地元の駅に集合して立体交差を越えてます。

明らかに成長しましたよね??今。

同じテンションで歌ってるけど前半と後半で過去から現在に飛んでますこの歌詞。どちらも締めくくりは「宝物を探した」と歌ってるけど、純粋で無邪気な子供の頃の自分を思い出して現在でも「それ」を探そうとする曲なんです。

 

そう考えるとAメロからめちゃめちゃ疲れてますよねこの人。座り込んでるし。

 

土の中で
汚れないように座ってる
絡みついた
清々しい朝の顔

      」

 

「絡みついた清々しい朝の顔」はメイクした顔です。出社前です。(のちの考察で、OLなのかは少し微妙ですけど)

毎日毎日繰り返して、朝を迎えるたびにきっちりと作る外界様の顔が、綺麗で清々しいはずなのに忌々しく「絡みついてる」わけです。

 

そこからすぐにBメロ入ります。もうBメロ。A.B.サビとほぼほぼ同じメロディラインであるからダラダラやらずに次々と展開していきます。冗長的になることを避けれて疾走感を生む完璧な流れです。

 

18の春、フリーターになって
38の夜、嫌になって
どうでもいい細胞だけが
よみがえる

     」

 

これも絶妙ですよね〜〜はぁ〜〜

18の春と38の夜は言わずもがな言葉遊びです。

高卒でフリーターになることを選択して38歳のある日の夜(多分昨晩ですこれ)全部やになっちゃったんです。これはえっちゃんが高卒でバンドマンの道に進んだことからエピソードを取ってて且つ発表された去年38歳だったからですね(もう39歳なの調べて驚愕した。34くらいだと思ってた…)

 

普通にえっちゃんの自身の話だと思うけれど、丁度20年って、18歳という無敵の歳の選択がもう挽回不能だなと感じるいい年月ですね。28も嫌になるかもだけど、幼稚園のときの純粋なきもちを思い出す歳ではないと思う。ていうかここまで書いて気づいたけど、子育てを経ていることがこの気持ちに辿り着くきっかけなのか。(サビの前半後半が息子君との対比の可能性もちらついたけど調べたらもう13歳になってた。)

つまりただの韻踏じゃなくて必然性の高い歌詞なんですよね。

 

その後に続くサビへの繋ぎ

「どうでもいい細胞だけがよみがえる」

細胞という言葉。生まれた時からコントロールできない自分自身の象徴。

どうでもいい細胞って今更思い出してもしょうがない正に「どうでもいい」過去の記憶。でも蘇ってしまうには抗えないことを表している。

 

2番では最後の部分だけを変えて

「どうでもいい細胞にだけ救われる」

と歌っている。

1番では否定的な話を、ほんの少し変更するだけで好転的な話に変える。これ私が1番好きな歌詞展開です。ほんとに好き。こういう歌詞を書くことだけを意識していきたい。メッセージが多すぎて色んなこと詰め込むのは美しくない。繰り返すことで植え付ける音楽としての心地よさとメッセージ性の両立を見事に行う技術。

 

うそを知らない
この犬を見習いたい

       」

 

2番Aメロの犬のくだりはえっちゃんの飼い犬「たぬきち」の話ですね。ペットという意識しなくても向かい合う無垢。その子になりたいと思うこと、これペット飼ってる人類あるあるですよね。なんなら、他人のペットとすれ違うだけでも思うけど。動物になりたいと思う時、私たちは等しく疲れている。

 

どこに行こう

外はゾンビだらけよ

       」

 

犬を見習って何処かに出かける。

冗長を避けるためにコミカルなアレンジを加えて、外にはゾンビだらけだと歌う。

現代の社会ではゾンビみたいに生きる意味も希望もなくただ残りの人生を消化している人々が往来している。

これは深読みだと思うけれど、唯一印象をつけているこの一節、幼少期の外界の未知に対する不安も一緒に表現しているともとれる。流石に違うか。

 

そしてラスサビについてもう一つだけ

前半部分の幼少期の美しい精神をうけて

後半部分で転調します。

これは現代の私が心の切り替えを肯定的に行えたということの他ないです(多分

 

さっきは触れなかったけど「地元」っていうのもいいね。多分20代は上京して、疲れ切った心に故郷の良さが触れる。若い頃には見つけられなかった宝物を大人になった今、見てるようで見てなかった故郷で探すというエピソードですね。

隅から隅まで隙がない。

書いてる途中で気づいたけど、別にメッセージなんてなくて、えっちゃんの実体験をそのまま文にしただけなのかも。それでもその実体験は誰しも体験するような普遍さを感じる。

とにかくめちゃめちゃ良くできた詩だと思いました。

それと「待ち合わせ」するってことは大人になっても気の許せる友達が地元にいるってことですよね。

大人になっても待ち合わせしたい友達。皆さんはいますか?

 

曲調は言わずもがなチャットのザ・シンプルサウンドで余計な小細工一才なしのグッドメロディ一本推し。好きにならない訳がない。

 

長くなったので終わり。素敵な歌詞を書けるようになりたい。