四半世紀

四半世紀という言葉が好きだ。

100年という区切りの良さそうな尺度を4分割して25年という中途半端な年数を新たな尺度にしていることが好きだ。20年とかの方が区切りが良さそうなのに25年。不思議な数字。(これは私が無知なだけなのかもしれないが)四半という言葉がほかに使われてるのを見たことがない。お馴染みの検索エンジンで検索しても「四半期」くらいしか用法が出てこない。意味は4分の1。五半世紀とかじゃダメだったのかな。20歳を成人に設定してるわけだし、使い勝手が良さそうだけど。(日本以外の国の年数の区切りをよく知らないわけだけれども。そんなこと言ったら「世紀」という概念自体、日本以外にあるのかな)

とはいえ、25歳も精神的には良い区切りな気がする。20歳はお酒とか煙草とか、色々解禁!って気もするけれど、私は大学生だったので、少し背伸びしてお酒を嗜んでいたし、ハタチになってもさして生活に変化はなかった。いや、そんなこと言ったら手違いで25歳も大学生だったわけだけれども笑。一般の大学に通ってる人は25歳だと社会人2.3年目くらい? とかく大人を意識しだす時期なような気がする。結婚だとか将来設計だとか、貯蓄だとかふるさと納税だとか。

収入というものが生活に侵入してきて、20代前半の人と冷静に何歳差?とか考えると、うわぁ自分大人じゃん!と、いままでぼんやり捉えて許されていた「生活の輪郭」急にハッキリして、しかも今すぐキャッチしないと取りこぼして割れてしまいそうな気になる。人生はガラスで出来ている。

それと呼応するように時間の流れは加速している。今年は色々大変だったから〜と誤魔化してはみるが、もうとっくに1年が凄まじいスピードで過ぎ去っていくのを、肌で感じている。職業柄好き勝手なことが出来るのもあと2年かと思っていたけど、特に何をするわけでもなく1年が終わろうとしているのを私は正直焦っている。親が子供を育てるのに20年間くらいかかるのって途方もないと思っていたが、案外あっという間の出来事なのかもしれない。高校生の時付き合っていた女の子が「早くお婆ちゃんになりたい」と口癖のように言っていた。気が早いなぁと生返事をしていたが、今はその日はすぐさま来るかもしれないと伝えたい。しかもお婆ちゃんを感じれるのはほんの一瞬かもしれない。私は老いることが怖い。太ったことはないけれど太ってしまうことも怖いし、生え際が後退してるように感じるのも怖いし、記憶の定着が鈍るのも怖い。(ハゲてもハゲられるなとよつばのとうちゃんのセリフを先輩に言われても、最初はなんのことだったかわからなかった)

なにより、自身は確実に年をとってるのに、精神がそれに追いついていないのが怖いのだ。先人はみんなそうなんだろうか。

気づいたら四半世紀よりほんの少し長い間生きてしまっている。「四半世紀経って〜」みたいな安っぽい歌詞をいつか書きたいと22歳くらいの時に思っていたがいつの間にか通り過ぎてしまっていて改めて時の流れを感じる。

 


四半世紀という不思議な言葉のことに思い馳せていたら思いの外暗くなってしまった自分に嫌悪感を抱きながら。

みんな精一杯生きてね。