素敵な家

長かった学生時代が恐らく終わりそうなので心機一転、ブログを新しくしました。

かつて書いたものは消さない派だったのですけれど、断捨離精神も大事だなって思います。

 

はてさて、半年ほど勉強というものをまともにやったら頭がおかしくなってしまいそうでしたけれど、なんとかそれもひと段落。今は最後のモラトリアムというやつをダラダラと消化しています。

これが終わったらあんなことやこんなことに挑戦するぞと意気込んでいたのに、結果はやはり寝てばかりの日々になってしまって、正直少し焦りが。

本日も気づいたらベットで日没を迎えてしまったので、「これはまずい!!」と飛び起きてシャワーを浴びて映画館へ。

先々月くらいは「観るものね〜〜」と言っていたのに今年に入って突然面白そうなのばっかりやるので困っちゃいますね。しかも調べたら全然レイトショーに残ってない!しかも明日で終わっちゃうのばっかり、明日は早起きして2.3本観ないといけない計画になってしまったのですが大丈夫なのでしょうか…。

今日のレイトショーで観れそうな奴(まだ余裕あるんだけど)は「パラサイト 半地下の家族」

すーーごく楽しみにしてたやつだったのでこれは今日行っちゃうしかないなと。一緒に観よ〜と約束してた人に連絡してみましたが、もう風呂も入って寝る支度済みだと断られてがっかりしたのだけれど、こんなに暇な私の方が特殊なのでしょうがなし。許せよ、私は独りでも行くぞ。

映画館は万代へ。普段は使わない映画館なのでちょっと居心地悪し。ユナイテッドシネマと比べるともう施設的には終わりですよ〜感が漂っていて、レイトショー勢には余計な寂しさを感じさせるのであんまり好ましくない。

平日昼間に関わらず人は意外といて、始まるまでの間、待合の机で突っ伏して寝てる人とか、カップルで向かい合ってジュースを飲んでる人(始まる前に無くなっちゃうよ?)とか、ソファで話してる女の子3人組とか、「この人たちはあれを観そうだな」と勝手に妄想して時間を潰す。

夕ご飯を食べてなかったのでポップコーンLサイズ(ここのポップコーンはRサイズが小さくて物足りない)だけじゃなくてホットドッグも買ってしまった。しめて1300円なり。自炊で節約!とか言ってるのになぁ、結局トントン。

3月で終わってしまう「午前10時の映画祭」の残りの予定表を眺めながら時間を待つ。私が勉強していたとき「ショーシャンクの空に」を映画館で観れる可能性があったことにほんの少しショックを受けたけれど「バックトゥザフューチャー」3部作は出来れば観たいところ。新しい土地ではどこで観れるのかな。

 

そうこうしてたら入場可になりました。

1番大きい劇場に案内されると、発券されたときに自分しか居なかったからまさかと思ったけど貸し切り。「イエーーイ!!!」とか叫びたくなる気持ちを抑えてど真ん中の後ろの方に座ります。まぁちょっとしたらぽつぽつ人が来て「そりゃそうか」となったのだけれど。

 

 

 

ここから「パラサイト 半地下の家族」若干ネタバレするかも。まだ観てない人はここまで。また今度ね。

 

 

 

 

まずは、とても面白かったんです。

韓国の映画ってそういえば観たことなかったなと思ったのだけれど、テイストは日本のコメディに似てる。

ポスターの芸術性から、もっともっとサイコパスな映画かと思っていたのだけれど、毛色としては「カメラをとめるな」とかそういう方向の映画だった。

4人家族が次々と詐欺の手法でお金持ちの家に転がりこむのだけれど、それが上手いのなんの。「ここまで立て続けだと流石に怪しくねぇか??」とも思うけれど、すっかり騙されてしまいます。上手いことルートもバラバラになるようにしててね。凄いなぁ。

でも、なんでそこでそんなアホな行動しちゃうの???って不思議になっちゃうけど、ずる賢いことと頭がいいことはまた別の話なんだろうな。

そんな一見完璧な詐欺家族も仰天のもう一つの詐欺家族がその家には潜んでて、もう映画の作りが凄すぎる。「地下」というテーマも最後までしっかり使ってて。こんな隠し部屋、俺も家に欲しいなぁ。でも誰かに住まれちゃうのかな。

 

それはそうと作中の1番深いところのテーマは「経済格差」だと思う。「私がこの家に住んでたら、もっと優しいわよ」というセリフにもあるように、彼らがあんなにも意地汚く、他人を蹴落としてでも自身の利益も求め、しかも何処か雇主を小馬鹿にし、リスクの存在を見誤ってしまうのは、「貧困」であることに尽きる。

経済的貧しさは心のゆとりのなさに如実な現れることをこの映画はしっかりと表現していると思う。お金持ちの旦那さんだって腹黒いところはあるのだ。それでも非人道的なことは滅多にしない。「金持ち喧嘩せず」という言葉を母がよく使っていたがその通りだなと。

少し差別的な発言になってしまうかもしれないけれど、韓国、中国という国の人たちがほんの少し、非人道的な行為をしがちなように感じていて、それは「人種性」から来るものだと思っていたけれど、実際はどれだけ貧困な人間が多いか、という点が1番の違いなのかもしれない。その点日本は恵まれているのだろうということは明らかですね。

昨今のTwitterとかの全くなんの生産性もない他人への攻撃の応酬をみてると(経済の傾きの具合からも)、日本も対して差のない国になりそうな気は何処かしている。ちょっと私は想像できないのだけれど。

貧困というハンデがもし知能にも与える影響があるのであれば気になる。学ぶ機会というものはやはり減りそうだけれど、それが平等に与えられれば、発達に差はないのだろうか。それとも知能的に低い水準の人は貧困から抜け出すことが難しいという簡単なことなのだろうか。卵が先か鶏が先か。

兄をあんなに気にかけてくれて、仕事まで紹介してくれて、「お前なら信用できる」と言った友達(恐らく親友)のことを1ミリも気にかけるシーンがなかったのは、やはり「お前とは住む世界が違う」ということなのだろうか。

事件後も、誰一人、犯した罪を反省していないのも凄い。自分たちが壊してしまったもののことなど考えず、自分たちのことしか考えていない。

これは映画の中のフィクションであって欲しいが、こういうことも実際はあり得そうな表現をしている。韓国だけでなく、日本でもあり得る。韓国の映画は世界観が似ているのでより身近な印象を受けるのだなと思った。

 

 

結局私はかなりの差別主義者なのかもしれない。と、これを書きながら思った。客観的に眺めているつもりだけど、どこからが思想なのかは判断が難しい。「それはこういう点が、あなたが気づいてないだけで、もう差別ですよ」みたいな文章を毎日のように目にする昨今。難しい問題のように感じるけれど、過剰に考える必要なんて微塵もないと思っている。私の人生には正直あまり関係ない。だめかな。

 

 

劇場を出ると映画館はもう電気を落としていて、暗い道をもっと真っ暗な立体駐車場まで歩く。同じようにこの通路を、誰かと歩いたり、独りで歩いたり、8年も繰り返してきました。

新しい街ではどんな映画館があるのだろう。少し楽しみだし、少し寂しい。

 

1番感想を伝えたい人のことを思い出したりしながら。

 

おやすみなさい。