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♭寄り道した途中で

大事なものを失くしたところ

♯な輪郭をしたあの子は

何を問いかけても上の空のまま

 
どんな言葉が鍵をこじ開けて

あの頃みたいに戻れるかな

「後悔するかも」

優しさに飢えていて

気が狂ったんかもしれないや


いっそ刺してよ その事情で

その後のことは死ねば気づかずにいたよ


飼い慣らして得意げなアルレッキーノ

誰も居ない舞台で踊り続けていた

 
視界の隅に捉えてたものを

誤解か何かと信じてたけど

翌る日扉が閉まったその時

気が狂ったんかもしれないや

 
例えば言葉が鍵をこじ開けて

あの頃みたいに戻れたとして

また堂々巡りの陣取りゲームの末

気が狂っちゃうかもしれないや

 
引っ掻いて 引き裂いてまだ

「会いたい」なんて言う矮小

焼けつく痛みを抱きしめるトラウマ

 
聞かせて DISAGREE

今 受け入れてしまうでしょう

気が狂っちゃうかもしれないなぁ

サラバ青春

先日長らく住んでいた新潟のアパートを引き払った。大学に入る時は「ただの通過点」としか思っていなかった新潟だが、気づけば人生の約3分の1も住んでいたことに気がついてびっくりした。もう身体の何処か一部は新潟県民になっていると思う。

留年したとき、学校が遠いから通えないと馬鹿げた話をしたら、ならすぐ隣に越せと親が引越しさせてくれたこのアパート。ほんとは当時好きな女の子が住んでたからというストーカーじみた理由だったのだけれど、越して半年くらいでその子とは疎遠になったのであんまり関係のない話だ。学校が近くなって助かったのは事実だし。

私は部屋の鍵を殆どかけたことがなかった。大抵うちに訪れた友人はその事に驚き呆れる。運良く次は都会に越す予定なので、流石にそろそろ鍵文化というものに馴染んで行きたいとは思っている。

引越しをする度に、人間はこんなにも沢山の物に囲まれているのか、と思う。

実際にダンボールに詰めると、存外「思い出はあるけど今の今までこれのことを覚えていたか?」と考えこむ事が多い。

物持ちはいい方だったのだけれど、今日が分岐点だと沢山の物を捨てた。女々しい思い出の品ばかり捨て損なったので、正直実家に送ったダンボールを新しい家に持って行く気にはならない。(そういうものを捨てることこそ断捨離だろうよ)

新潟を去る前に会いたいような気がする人も何人かいたのだけれど、此処でわざわざ会わなければ一生会わない人。きっとこの先も会わないのだろうなと思うのでさして連絡しなかった。

私は新潟で一応バンドを組んでいて、今後もやりたいと一応考えている。のでまたこの地に来ることはあるかと思う。働いてみないとわからないが。

でも綺麗になった家を後にして車に乗ったとき「じゃあね。2度と来ないよ。」と心の中で思う。そうなってもおかしくないと思う。私はそういう人間だ。

同期だった友達はもう社会人を4年もやってるらしい。私と彼らの過ごした4年の感覚は多分違うと思う。新しい環境に入ってから人の体感時間は長くなるように感じる。新しい人間関係、新しい街、新しい生活。私はと言えば変わらない環境から仲のいい友達を差し引いた4年間なので本当にあっという間だった。どんなことをしたのか。正直あまり思い出せない。

時間軸は人間関係に基づいて受容されるように思う。1人で過ごした時間も貴重だが、案外振り返ってもかけらも残ってないことも多い。

過去を振り返るとき、例えばの話だが、好きな人とどんなことをしたかを初めに思い浮かべるように、まず浮かんだ人物との関連を思い出す。(もしかしてこれは私だけなのだろうか)

特定の誰かが出てこなかったり、1人で過ごしてる事が多い1年はなんだか何も残ってないように感じる。

4月から私はどんな人間関係を構築するのか楽しみだ。新しく誰かと仲良くなるのが楽しみ。

社会人になったらそれはそれは辛いことだらけなのかもしれないけれど、それ以上に久しぶりに経験する新環境というものに期待している。

まぁあれもこれも国家試験受かってなきゃなんですけど…明日発表かぁ。落ちてたら受かったフリします。真相は闇の中。

 

いろんなことを思い出したら凄い楽しかった幻みたいな長い大学生活もようやく終わりました。私の中に残っている貴方たちの中には私は残ってないかもしれないし、これから消えちゃうことと思いますけれど、私は記憶力には自信がある方なんです。若かりし貴方たちは、更新されることなく私の中にいます。いつか私のことも思い出してね。

8年間ありがとうございました。

 

追記

チャットモンチーのコピーを最後にやり損なった。弾き語りして動画を晒そうかな。

素敵な家

長かった学生時代が恐らく終わりそうなので心機一転、ブログを新しくしました。

かつて書いたものは消さない派だったのですけれど、断捨離精神も大事だなって思います。

 

はてさて、半年ほど勉強というものをまともにやったら頭がおかしくなってしまいそうでしたけれど、なんとかそれもひと段落。今は最後のモラトリアムというやつをダラダラと消化しています。

これが終わったらあんなことやこんなことに挑戦するぞと意気込んでいたのに、結果はやはり寝てばかりの日々になってしまって、正直少し焦りが。

本日も気づいたらベットで日没を迎えてしまったので、「これはまずい!!」と飛び起きてシャワーを浴びて映画館へ。

先々月くらいは「観るものね〜〜」と言っていたのに今年に入って突然面白そうなのばっかりやるので困っちゃいますね。しかも調べたら全然レイトショーに残ってない!しかも明日で終わっちゃうのばっかり、明日は早起きして2.3本観ないといけない計画になってしまったのですが大丈夫なのでしょうか…。

今日のレイトショーで観れそうな奴(まだ余裕あるんだけど)は「パラサイト 半地下の家族」

すーーごく楽しみにしてたやつだったのでこれは今日行っちゃうしかないなと。一緒に観よ〜と約束してた人に連絡してみましたが、もう風呂も入って寝る支度済みだと断られてがっかりしたのだけれど、こんなに暇な私の方が特殊なのでしょうがなし。許せよ、私は独りでも行くぞ。

映画館は万代へ。普段は使わない映画館なのでちょっと居心地悪し。ユナイテッドシネマと比べるともう施設的には終わりですよ〜感が漂っていて、レイトショー勢には余計な寂しさを感じさせるのであんまり好ましくない。

平日昼間に関わらず人は意外といて、始まるまでの間、待合の机で突っ伏して寝てる人とか、カップルで向かい合ってジュースを飲んでる人(始まる前に無くなっちゃうよ?)とか、ソファで話してる女の子3人組とか、「この人たちはあれを観そうだな」と勝手に妄想して時間を潰す。

夕ご飯を食べてなかったのでポップコーンLサイズ(ここのポップコーンはRサイズが小さくて物足りない)だけじゃなくてホットドッグも買ってしまった。しめて1300円なり。自炊で節約!とか言ってるのになぁ、結局トントン。

3月で終わってしまう「午前10時の映画祭」の残りの予定表を眺めながら時間を待つ。私が勉強していたとき「ショーシャンクの空に」を映画館で観れる可能性があったことにほんの少しショックを受けたけれど「バックトゥザフューチャー」3部作は出来れば観たいところ。新しい土地ではどこで観れるのかな。

 

そうこうしてたら入場可になりました。

1番大きい劇場に案内されると、発券されたときに自分しか居なかったからまさかと思ったけど貸し切り。「イエーーイ!!!」とか叫びたくなる気持ちを抑えてど真ん中の後ろの方に座ります。まぁちょっとしたらぽつぽつ人が来て「そりゃそうか」となったのだけれど。

 

 

 

ここから「パラサイト 半地下の家族」若干ネタバレするかも。まだ観てない人はここまで。また今度ね。

 

 

 

 

まずは、とても面白かったんです。

韓国の映画ってそういえば観たことなかったなと思ったのだけれど、テイストは日本のコメディに似てる。

ポスターの芸術性から、もっともっとサイコパスな映画かと思っていたのだけれど、毛色としては「カメラをとめるな」とかそういう方向の映画だった。

4人家族が次々と詐欺の手法でお金持ちの家に転がりこむのだけれど、それが上手いのなんの。「ここまで立て続けだと流石に怪しくねぇか??」とも思うけれど、すっかり騙されてしまいます。上手いことルートもバラバラになるようにしててね。凄いなぁ。

でも、なんでそこでそんなアホな行動しちゃうの???って不思議になっちゃうけど、ずる賢いことと頭がいいことはまた別の話なんだろうな。

そんな一見完璧な詐欺家族も仰天のもう一つの詐欺家族がその家には潜んでて、もう映画の作りが凄すぎる。「地下」というテーマも最後までしっかり使ってて。こんな隠し部屋、俺も家に欲しいなぁ。でも誰かに住まれちゃうのかな。

 

それはそうと作中の1番深いところのテーマは「経済格差」だと思う。「私がこの家に住んでたら、もっと優しいわよ」というセリフにもあるように、彼らがあんなにも意地汚く、他人を蹴落としてでも自身の利益も求め、しかも何処か雇主を小馬鹿にし、リスクの存在を見誤ってしまうのは、「貧困」であることに尽きる。

経済的貧しさは心のゆとりのなさに如実な現れることをこの映画はしっかりと表現していると思う。お金持ちの旦那さんだって腹黒いところはあるのだ。それでも非人道的なことは滅多にしない。「金持ち喧嘩せず」という言葉を母がよく使っていたがその通りだなと。

少し差別的な発言になってしまうかもしれないけれど、韓国、中国という国の人たちがほんの少し、非人道的な行為をしがちなように感じていて、それは「人種性」から来るものだと思っていたけれど、実際はどれだけ貧困な人間が多いか、という点が1番の違いなのかもしれない。その点日本は恵まれているのだろうということは明らかですね。

昨今のTwitterとかの全くなんの生産性もない他人への攻撃の応酬をみてると(経済の傾きの具合からも)、日本も対して差のない国になりそうな気は何処かしている。ちょっと私は想像できないのだけれど。

貧困というハンデがもし知能にも与える影響があるのであれば気になる。学ぶ機会というものはやはり減りそうだけれど、それが平等に与えられれば、発達に差はないのだろうか。それとも知能的に低い水準の人は貧困から抜け出すことが難しいという簡単なことなのだろうか。卵が先か鶏が先か。

兄をあんなに気にかけてくれて、仕事まで紹介してくれて、「お前なら信用できる」と言った友達(恐らく親友)のことを1ミリも気にかけるシーンがなかったのは、やはり「お前とは住む世界が違う」ということなのだろうか。

事件後も、誰一人、犯した罪を反省していないのも凄い。自分たちが壊してしまったもののことなど考えず、自分たちのことしか考えていない。

これは映画の中のフィクションであって欲しいが、こういうことも実際はあり得そうな表現をしている。韓国だけでなく、日本でもあり得る。韓国の映画は世界観が似ているのでより身近な印象を受けるのだなと思った。

 

 

結局私はかなりの差別主義者なのかもしれない。と、これを書きながら思った。客観的に眺めているつもりだけど、どこからが思想なのかは判断が難しい。「それはこういう点が、あなたが気づいてないだけで、もう差別ですよ」みたいな文章を毎日のように目にする昨今。難しい問題のように感じるけれど、過剰に考える必要なんて微塵もないと思っている。私の人生には正直あまり関係ない。だめかな。

 

 

劇場を出ると映画館はもう電気を落としていて、暗い道をもっと真っ暗な立体駐車場まで歩く。同じようにこの通路を、誰かと歩いたり、独りで歩いたり、8年も繰り返してきました。

新しい街ではどんな映画館があるのだろう。少し楽しみだし、少し寂しい。

 

1番感想を伝えたい人のことを思い出したりしながら。

 

おやすみなさい。